初の執筆作「paperman」で鮮烈な印象を与え、ヤングキング創刊30周年記念 新人漫画賞 を受賞した吐兎モノロブ。

少女二人の幼き日の出会いから始まる「卯の花腐し(うのはなくたし)」をはじめとするホラー、SF、ファンタジーなど、多岐にわたるジャンルの世界を描き出したオムニバス短編集『少女境界線』を引っ提げて、ここに衝撃の登場!

少女×少女×非日常を生み出したその世界観に、いま迫る!!

取材・文/田中香織(2018/6/15公開)


明確なこころざしと、上京後のノープラン

ペンネームを決められた時期と、その由来をお聞かせください

「モノロブ」は昔から使っていて、pixivなどでも使用した名前です。中学生ぐらいの頃に考えたんですけれども、江戸時代に「菱川師宣(ひしかわもろのぶ)」という画家がおりまして、名前の一部が自分の本名とかぶっていました。「唯一の絵を描きたい」という気持ちと、「本物」というのをかけて「モノロブ」と

では当初は苗字がなかった?

はい、あとから付けました。友達にロゴタイプなどを作っている方がいて、以前に僕のロゴマークを作ってくれてたんですね。それがゲロを吐いているウサギみたいな顔のやつだったので(笑)

著者Twitterアイコンより 著者Twitterアイコンより

Twitterでもアイコンになってらっしゃるこのマークですね!そうか、これはゲロなのか(笑)

短編集に収録されている「ゲロを吐く女の子の話」というものを以前から考えていて、それを彼に話したことがあったんです。「そのイメージが強かったので、ゲロを吐いているウサギのマークになった」と言っていました

思いがけない由来でした!ところでこちらもTwitterで拝見したのですが、「(マンガは)小中学生の頃にノートに鉛筆で描いたのが始まりかな」というつぶやきがありました。その頃のことはどんな記憶がありますか?

マンガというより本当に絵を描いていたというだけで、それもアニメの絵を模写したような。よくいるじゃないですか、クラスで一人くらい絵の上手い子。たぶん、そのポジションぐらいだったと思うんです。当然、聞かれるのは「将来マンガ家にならないの?」。当時の僕は、マンガ家さんに絵がとてもうまい印象を抱いていて「自分は絵を描くのが好きだけれどマンガ家は無理だろうと思う、だからならない」と言っていました

そのお気持ちはずっと変わらず?

デビューする1年前まで、マンガ家になろうとはまったく思っていませんでした

小さいころは、どんな方の絵を模写されていましたか

シャーマンキングの武井宏之先生の絵などを描いていました

当時、なりたかったご職業などは

漠然としていました。絵をずっと描き続けて、大人になったら何かできる仕事があるだろうというぐらいに漠然と

周囲にロールモデルというか、絵を描くことを職業にされている方はいらしたんですか?

祖母が画家をやってはいましたが そんなに影響を受けたという感じではありません

絵はあくまで趣味として描いてらっしゃった

そうですね。地元の北海道で、札幌の大学に入ってから「アニメを作ってみたいな」という気持ちが出てきて、入学してからインターンとしてアニメの映像制作会社でコンテを描かせてもらっていました

でも、そのままアニメには行かずにマンガの道へ

大学を卒業するときに卒論で、アニメーターの就労事情に関する小論文を書きました。それと一緒に、短いアニメも作って。 ただ、自分でも調べているなかで「アニメーターは生活が逼迫している」という話を聞いて「自分にできるかな」という気持ちが出てきて

手堅い!大学は美術系ということではなかったのですね

デザイン系です。メディアコースというところに入っていました。それで、卒業してから「堅実にやんないとな」と思って1年ぐらい過ごしていたのですが、人に迷惑かけたり無茶をするのは若いうちじゃないとできないなと思って心変わりしました。でも、その時も「アニメーターになろう」とか「イラストレーターになろう」というプランはありませんでした

進学を機に東京へ出てこられたわけではなく、本当にノープランだったんですか

何も考えずに出てきました(笑)

親御さんには止められませんでした……?

止められるだろうなと思って、飛行機のチケットを取ってから「関東に行くんだ」と伝えました

そこは計画的だったのですね!なのに、上京後のことはノープラン(笑)

担当編集(以下 編) 家出に近いですよね。でも逃げ道を残さない家出

親御さん、呆気にとられませんでしたか

「1年経って芽が出なかったら戻っておいて」と言われました。それが22の時で、今は25です


縁とハッタリと突破口

上京後のお話を聞かせてください

半年くらい、イラストレーターの求人サイトに自分の作品を送ったりしていました。そこで行き詰まっていた頃、ちょうど2年前の今頃に飲み会で現在の担当編集さんとお会いしました

(編)出版関係の方や、編集者、マンガ家さんが集まるパーティーがあって

その会にはどなたかから誘われて?

Twitterで知り合ったマンガ家の方がいらっしゃって、思いきってその方に相談してみました。「ちょっと今、絵で仕事をしたいなと思っているんですけれどもどうしたらいいでしょう?」と。そうしたらその方が「そういう人たちが集まる場があるから、自分の方で紹介するから行ってみたら?」と

Twitterからのご縁とは!その先生も優しい方ですね

関東に出る1年前に、地元でたまたまマンガの講習会というのがありました。その時はマンガというより絵の勉強になるかと思い、タイミングもいいしと1年ぐらい通って。そこで描いたネームが1本だけあって、パーティーに行った時にそのネームをポートフォリオの中にたまたま持っていたので、今の担当編集さんにそれを見てもらいました。そうしたら「これ原稿にしない?」と

いきなり突破口が!

(編)当時、私はマンガ家さんのアシスタントを探していました。ですから、そのパーティーのときに「アシスタントができる子、誰かいない?」と聞いていて。そうしたら、あるマンガ家さんが「ちょうどいいアシスタントの子がいます、紹介します」とおっしゃって、連れてきたのが彼でした

でもまだその時、吐兎さんにアシスタントのご経験は……

ないです

「paperman」(『少女境界線』収録)より 「paperman」(『少女境界線』収録)より

すごい!(笑)ハッタリが突破口に

たぶん僕、その方に「アシスタントをやりたいです」とは言ってなかったんです

でもその方からすれば「これはいいきっかけだ」と思われたんですよね。きっと

(編)吐兎さんはそのパーティーに、大きなリュックサックをバックパッカーのように背負ってきていて、そこから「絵はこれです」と出してきた中にネームがあって。まだペンで絵を描いたことがないと伺い、ネームだけ拝見しました。それが「paperman」でした

初めてネームを切ったのは、おいくつくらいの時でしょうか

高校の時に A 4のコピー用紙にマンガを鉛筆で描くというようなことはやっていました

まるでシンデレラストーリーですが……

本気でマンガに取り組もうと思っている人だったら、僕が高校の頃 A 4のコピー用紙に小さくマンガを描いている頃には原稿をちゃんとやっていたんじゃないかと。だから、関東に出てくるまで何も本気でやっていなかったなと思っています

実際にネームを見せる機会が来たときに、ためらいなどはありませんでしたか

当時、本当に何も仕事をしていませんでした。そのパーティーには出席名簿のようなものがあって、僕の職業欄だけ「無職」と書かれていて。あとから「なにか書いておけばよかったじゃん」と言われましたが、事前に「職業は?」と聞かれたときに「何もやってないな」と思ったので、そのまま伝えたら……

正直ですね(笑) 編集さんにお会いになったのも初めてでしたか

初めてでした。飯の種になるなら、評価してもらえるならと思ってお見せしました

(編)ネームを見せられたとき、私は結構お酒を飲んでいて、パーティーも終盤でした。でも、読み始めて酔いが飛びました。「すごく面白い!」と思って、周りの音が静かになった気がして。そのまま吐兎さんに感想をお伝えしました

「paperman」(『少女境界線』収録)より 「paperman」(『少女境界線』収録)より


初めてのペン入れ

その後ネームに手を入れながら「アシスタント背景美塾」に通われたそうですね

担当編集さんと出会う前に、背景美塾が開催している「プロ・アマ問わず、ネームさえ持ってくれば参加できます」というお茶会に参加しました。編集さんから反応をいただいた後にその会でも評価していただいたので「最近編集さんがついたんですよね」という話をしたら、「背景美塾でも長期の講習会の企画があるからそちらに参加した方が良いのでは」とご提案があって

タイミングがばっちり!ではペンの使い方などはそこで覚えることに?

あとは担当編集さんから紹介してもらって、甘詰留太先生と宮下裕樹先生の現場にアシスタントとして入りました

マンガを描くための道具はどちらで買われたのですか

ペン先などは地元にいたときに買っていました。でもそれは中学生ぐらいのときの話で、つけペンの使い方が全然わからずずっと放置していて。北海道から出てくるときに、その道具たちを持ってきました。ペン先などは世界堂に行って買いました

マンガ家への道を一気にすすみましたね

マンガ家が一番ありえない選択肢でした。札幌にいたころに、札幌のクリエイターで宇木敦哉さんという方がいて、「月刊アフタヌーン」の四季賞を受賞されていました。その後、宇木さんが個人で作られた30分の尺のアニメーションを見たときに、ものすごい衝撃を受けて。「今、もう個人でアニメーションも作れるんだ、マンガも描けるんだ!」と。そのことに影響されて「アニメをやりたいな」とずっと思っていました。くしくも今は「アニメやりたいな」と思いながら、逆にマンガを描く方に行った、という感じですね

小さい頃好きだったマンガやアニメは?

あまりマンガを買ってもらえていなくて、立ち読みや友達から借りて……。「ヒカルの碁」「シャーマンキング」「ソウルイーター」は雑誌で読んでいました。アニメもそんなに見ていません。本当によく見るようになったのはここ数年くらいです。大学へ入ってからですね

そういった環境で、アニメーターになろうと思われたきっかけが、宇木さんの作品だった

はい。その後、アニメを見ると作画を担当されている方の名前を調べるようなりました

マンガは現在、日常的にかなり読まれていらっしゃるようですが

デビューしてから、意識して他のプロの作家さんの作品をもっと読むようになりました

作品内では、キャラクターの名前や作品の引用に、万葉集や聖書の影響が見られました。もともと読書がお好きだったのですか?

海外のファンタジーや児童文学が好きで、『指輪物語』『ナルニア国物語』『ダレン・シャン』『ハリー・ポッター』などのシリーズと、ダイアナ・ウィン・ジョーンズやアーシュラ・K・ル・グィンなどの作家を、手当たり次第読んでいました

有名なタイトルを軒並み読まれていましたね!ちなみに、先生の作品を読んでいる時に思い出した児童書は『はてしない物語』でした

ああ!それも読みました。描いているときにはあまり意識していなかったのですが、作品にそういった経験が反映されてるとしたら嬉しいです

「Xsis」(『少女境界線』収録)より 「Xsis」(『少女境界線』収録)より

今でも小説は読まれていますか?

最近そんなに読む機会がなくて、活字に触れていないのはダメだなあと思って、スティーブン・キングの『ダークタワー』の一巻だけ買って読みました。前ほどファンタジーを読んでいません。どちらかというと、映画を見る本数の方が増えた感じです


マンガを描くようになってから

ご自身の作品で実際にペン入れを始めたのは、編集さんとお会いになってからいつぐらい後のことでしょうか

(編)2016年の5~6月に初めてお会いして、吐兎さんが「東京に来たからには初めての事をいろいろやりたい」「夏コミ(=コミックマーケット)に同人誌を出してみたい」と

その時点でまだペン入れは……?

してないですね(笑)コミケに出した作品は全部デジタルで描きました

(編)コミケが終わって、いよいよ描きましょうということになって。2016年の9月からですね。「まず一枚だけ描いてみて」とペン入れが始まりました

paperman」の一枚目は、いきなり密度が高いですよね

実は一度、全部描き直しているんです。描いている間「もっと密度を上げてください」と言われ続けました。でも途中で密度を上げすぎて、編集さんもそれで僕の手が遅くなっていると気づかれたのか「今度は抜き方をどんどん覚えましょう」と提案されて。その後、甘詰先生や宮下先生のところへ勉強しに伺ったりもしました。あとは編集さんから、段ボール一箱分の資料をいただいたりとか

「paperman」(『少女境界線』収録)より 「paperman」(『少女境界線』収録)より

密度を求められるのは、紙の雑誌ならではでしょうか。媒体の性格によるのかもしれませんね。ところで「paperman」の57ページというのはかなりの長さですが、どのような経緯で制作されたのでしょう

(編)paperman」は、そもそも載せる場所が決まらないままに執筆された作品でした。描き上げたはいいけれども、上司からは「頑張ったね、でもまだ掲載レベルじゃない」と言われ「じゃあこの原稿どうしよう」となって。ただその時がちょうど「ヤングキング」が創刊30周年を迎える年で、それを記念した新人賞が作られたんです。結果として「paperman」は期待賞を獲得し、Web に載せることもできました。でも、その後の作品の掲載誌が決まりません。そこで社内でリクルートと言うか、就職活動のように各雑誌へ私が吐兎さんの作品をプレゼンしていくという日々を送り……

まるで専属のマネージャーさんのような!

(編)本当に(笑)その中で「ヤングキングGH」の編集長から好意的な反応がありました。とはいえ、新人に割けるページ数として50枚は難しかった。編集長からは「新しく16枚を描いてごらんなさい」という言葉とともに「女の子二人」というお題も出ました。女の子メインの雑誌である「アワーズ GH」という媒体のカラーと、新人の単行本を短編集一冊という形でまとめるとなると、何かジャンルのフックが欲しいということが理由です。そのテーマから、今回の短編集に収録されている「アイアンリーシュ」と「卯の花腐し(うのはなくたし)」は生まれました

「卯の花腐し」カラーイラスト 「卯の花腐し」カラーイラスト

paperman」の掲載が決まるまで、先生はどんなお気持ちでしたか?

描き上げても載らない、ぽっと出の新人だとやっぱりそんな感じなんだな、と。あの時期が一番辛い時間でした。何度も心が折れそうになって。でも同時にそのころ、アシスタントとしてレギュラーで入れてくださっていたのがあさぎ龍先生です。10月ぐらいから毎月雇ってくださって、条件もすごく良くて

アルバイトは東京でもなさっていた?

いいえ、していませんでした。上京する前のアルバイトで貯めたお金を切り崩しながら暮らしていました。アシスタント先では、たとえば4日ぐらい寝泊まりする中で、夜は自分のマンガを描いても良かったので、「paperman」の作業をしながらアシスタントとしても育ててもらいました。すごく恵まれた環境でした

(編)あさぎ龍先生がとても面倒見の良い方なんです

全部、出会いからのはじまりですね。すごい強運の持ち主!

運と縁に恵まれたと思っています。描いている最中も、背景美塾の先生がよくアドバイスをくれたり。いろんな形の応援があったような気がします

でもそれだけ描くことが生活の中心にあると、自由になる時間も少なかったのでは。苦にはなりませんでしたか

どちらかと言うと、自己管理が今のところ一番の課題です。これは上京する前からそうなんですが、基本的にすごく自分に自信がないんです

Twitter でも何度もつぶやかれていましたね

でも、みなさんなぜか評価してくれるし、こうやって機会も与えてもらっている以上、絶対無碍にはできない。やはり絵で食っていくというのがずっと夢だったので、続けたいなと今は思っています

「アイアンリーシュ」(『少女境界線』収録)より 「アイアンリーシュ」(『少女境界線』収録)より


作画の試行錯誤

単行本化に際して、初めての作業もたくさんあったと思われます。今、作画はどんな風になさっていますか?

カラーに限らずマンガ本文もですけれど、毎回描き方がちょっとずつ違うというか、いろいろ試している段階です。デジタルで下描きをしてアナログで印刷してみて。今回の作品の中でも「メタフィジカルパースペクティブ」の途中まではその方法でやってみました。結局、デジタルのまま使っちゃったんですけれど(笑)

なるほど、だいぶ線の太さが違いますね

まだまだ試行錯誤中です。未だにそれほど安定はしていません。今のペン入れはとりあえずアナログです。だから後編ではアナログに戻っています。最初、スクリーントーンを使ったことがなかったので苦労しました。「paperman」は全部アナログです。ペン入れをしてからスクリーントーンもアナログで。できれば全部アナログでやっちゃいたいんですけれども

珍しいですね!今もアナログですか?

今はデジタル処理にしました。いろいろ試行錯誤した結果、アナログで線画を描いてトーン処理はデジタルでということに落ち着いています。線画をデジタルで取り込んで、二値化処理などをやる時に自分の目で見て描いていたときの線と若干情報量が変わっちゃうので、「こういう線が出したかった」というところに近づけなくて。ちょっとノイズが入る、それが気になります。好きな作家さんがフルアナログという方が多いのも理由でしょうか

20代の方だと珍しい気がします

今の手の速さだと全然追いつかないので、結局デジタルなんですけれど。カラーはデジタルです。上手くなりたいと、ずっと思っています

こういう風に描けたらいいなというモデルというか、目標とされる方はいらっしゃいますか

とにかく圧倒される作家さんと、崩した絵で尖った作風を保ち続けていることに驚かされる作家さんとで自分の中に二極化していて、前者だと三輪士郎先生。すごくスタイリッシュな絵を描かれてて憧れます。後者だと大久保篤先生、中山敦支先生、阿部洋一先生が浮かびます。ああいう、唯一無二の絵が描ける人たちにすごく憧れています。他にも鬼頭莫宏先生もすごく好きです

paperman」をはじめ、先生の作品にはいろいろな異形が出てきます。その辺りでの影響は

作品の原体験はやはり、宇木敦哉さんの作られた30分のアニメです。「センコロール」というタイトルで、怪獣を操る少年とそれに首を突っ込んでいく女子高生の話。その怪獣のデザインがすごく好きだったんです。他のアニメだと「ノエイン もうひとりの君へ」にも異形が出てきます。「人に近い目をしているけれど、どこかで全然コミュニケーションが取れない」みたいな、そういう目をした怪物。でもどこかちょっと丸みがあって親しみを覚える、そういうデザインがすごく好きで、そういうものをイメージしていましたね

「RWBY」のアンソロジーに参加されていました。二次創作とオリジナルと、制作上、違いはありましたか

「自分なりのキャラクターの解釈を提出する」というか、論文に近いイメージで制作しました。「このキャラクターならこういうことを言うだろう」「こういう考え方をするだろう」そうやって自分ならではの分析をして、浮かんだものを人に見せるというイメージでした

オリジナルとどちらが描きやすかったですか?

paperman」の時から欠点として指摘をされていたんですが、キャラクターを作るということが課題になっています。担当さんは「割と克服されてきている」と言ってくださるんですが……。二次創作はあらかじめキャラクターが用意されているものを、自分の中でどう再構成してコマーシャルするかということが必要になります。それを踏まえるとオリジナルはもっと煩雑なもの、いろいろな情報を自分の引き出しに持って、そこから再構成して外に出すという作業です。その辺りが二次創作と違って一から作らなきゃいけない。大変でもあり、でもそこが一番面白くもあります

今回、初の単行本化ですが、これからのお話も伺わせてください

初めての長期新連載を予定しています。「少女境界線」はオムニバス連載だったので、わりと好きにやらせてもらっていました。次回は初めての続き物で、新連載。また心が折れるんだろうなって今から覚悟してるんですけれど(笑)

すでに今から打たれる覚悟が!(笑)

(編)初回44ページ、巻頭カラーで8/16発売の「アワーズ GH 10月号」から新連載決定 です!

また新たなチャンスですね

胃に穴が開いちゃう……

(編)もっと嬉しそうな顔をしてください!ネームは出来上がっていますし、大丈夫です(断言)

「少女境界線」を描いているときもずっと思っていたんですけれど、いわゆるショック療法というか、「叩いて叩いてマンガ家の形にしてもらってるなー」っていう気持ちでいます。筋肉を鍛えてるみたいなイメージで。こういう機会を頂けているのはすごく嬉しいです

結局、一年で北海道に帰らなかったということですものね。ご両親としては「あいつ、本当に絵で食っていくぞ」と

はい。なので、今回の本が出ることもそうですけれど、これからも良い知らせを親にもしたいと思っています

「少女境界線」カラーイラスト 「少女境界線」カラーイラスト

最後に、これからの心意気をお聞かせください

強くなりたい、ですね。自分にもっと確信をもって描いていきたい。ずっと「これでいいのかな、これで大丈夫かな」って疑問を抱えながら描いていて、今後もそういうのはつきまとってくると思うんです。でも今も多少思っているんですけれど「自分にしてはよくやってるじゃないか」っていう自己肯定みたいな、そういったものを大事にしながらマンガ家としての自分の在り方を確立していきたいと思います

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